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四十にして惑わず?

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昨日、何歳になっても 怒ったり、戸惑ったり、言葉で傷ついたりすることはある~と書きましたら
コメントを戴きました。

【確かに、『40にして惑わず』は大嘘のこんこんちきです。】 と。

まさにうばゆりにとっても論語の 【吾十有五にして・・・】で始まる教えは当てはまる所が一分一厘ともありません。
「40にして 惑わず」どころか、、あの頃は毎日あっちにぶつかり こっちにぶつかり、仕事と子育てで迷路の中を手探りで歩いていました。

「50にして 天命を知る」 こともなく、その頃もまだうろうろ惑っていましたね。
この天命っていうのは、寿命のことではなく、天から与えられた運命のことだそうです。

「60にして 耳順う」 これも未だに無理です。納得がいく話しなら理解できますが、そうでなければ絶対に理解できないうばゆりです。

「70にして矩を越えず」 あと二年で70になりますが、絶対にこのようにならないと思います。
だって自分のしたいようにしても、社会の規範を破ることがないとは~ ありえませんね。やりたいことを何でもやって良いと言ったらウワ~ 口に出せないことばかりでして、、、、

やはり孔子はエライお方だけあって、その一生も凡人と違ったわけでしょう。ところがその一生を異国の日本人が長く手本としてきたのですから、色々無理があったのと違いますか?儒教の教えでがんじがらめに行動を縛られていたことでしょう。特に女性はなおさらです。
ア~、現代に生きてよかったわ!ホッ。


実はうばゆりにはコレに関して嫌な思い出があるのです。以前書いたことがあるので、「またか!」と思った方は 今日はここまででオヤスミナサイ~

胸膨らませて中学に入学したうばゆりを待っていたのが、思い出したくもないいやな担任です。
最初に教えられたことが、この 
 吾 十有五にして 学に志す
 三十にして 立つ
 四十にして 惑わず
の全文暗唱だったのです。それと
「人間は諦めが肝心だ」ということです。
テストの点が悪い子には「人間は諦めが肝心だ!」と言って返すのでした。この言葉を聞くたびに心が震えたのを思い出します。
何十人もの先生方との出会いが今までにありますが、後にも先にも嫌な気持ちと共に思い出すのはこの先生一人です。



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今日もお読みいただき有り難うございました


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by ubayuri | 2011-01-03 22:39 | 子ども時代・思い出 | Comments(0)