カテゴリ:子ども時代・思い出( 82 )

時々 子どもの頃のことを思い出します。

仲良しだった子のことよりも、少し話しただけの子の方が思い出します。
多分心に引っかかったままで、その後の様子も分からないままだからでしょう。

日本中を行商するお父さんについて歩いていた子とか、
父親が会社を首になり家を転々としたあげく、中学生で屋台の飲み屋に立っていた子とか、
親戚のお風呂屋に預けられ手伝いをしていた子とか
色々、子どもながらに苦労をしていました。
f0161708_22180292.png
今日 思い出したのは、高校1年 15歳の時の友達・カオルちゃんです。
うばゆりと仲良しでは無く、登下校も遊びも一緒にしたことはありません。
色が白くて目がぱっちり大きいのに、何故かいつも泣いている様な顔でした。友達もほとんど無くていつもポツンと一人でいました。
1学期末のある日、何かの授業で席が隣になった時に突然話しかけてきました。
無口だと思った子が家のことを次々と話してくるのです。
お父さんとお母さんは離婚をして、カオルちゃんは父親に、妹は母親に引き取られたこと。
新しいお母さんがいて、小さな弟が二人いること。
行方が分からなかったお母さんの居場所が分かったこと~など

うばゆりはポカンと聞くばかりです。
どの話も小説か映画の中でかの話です。
「お母さんに会いたい・会いたい。」
「お母さんはお金持ちで会社の社長さんをしている。」とか、夢のようなお母さんの話です。

うばゆりの母さんは家の掃除やご飯の用意に時々ミシンかけ
まるで薫ちゃんのお母さんとは住む世界が違います。
だけど本当かな?と心のどこかで思ったりもしました。

それから程なく、泣き顔のカオルちゃんが満面の笑顔で話してくれました。
「地方都市にいるお母さんと暮らすことになったの!」
本当に嬉しそうでした。
7月30日に行くことも教えてくれました。

ということで、1学期で転校をしたカオルちゃんのその後は誰も知りません。

あれから、幸せな人生を送ったのかしら?
泣き顔とはバイバイして笑顔で暮らしているかしら?
気になります。









          -----------
【ちょっとお茶でも】 ←コメントはこちら
【古日記】 ←以前のうばゆり日記&チョットした情報はココ

今日もお読みいただき有り難うございました    
       ----------------

[PR]
[東京・目黒で5歳の女児が父親から虐待を受けて死亡した]という痛ましいニュースがありました。
虐待したのは実の父親では無いと言うことですが~、
このニュースを見て、今から7~8年前に見た光景を思い出しました。

ある日のこと、温泉を出て待合室のソファにうばゆりが座っていると、そこに
仲の良い家族連れがやはりお風呂から上がってきました。
若いパパはよちよち歩きの坊やに自販機でジュースを買ってあげ、自分とママの分も買って飲み始めました。
f0161708_22520500.png
少し離れたところに6歳くらいの男の子がポツンと座っていますが誰も声をかけません。
まるで、その子は透明で存在しないような扱いです。

若いパパは小さな坊やが可愛くて目が離せない様子で、後を付いて歩いています。
少し離れたところにパパ達が行くと、ママはすっと立って男の子に100円玉を一つ渡しました。
男の子は黙って自販機からジュースを買って飲み始めました。

きっとお兄ちゃんには本当のパパでは無いのでしょう。
あんなに縮こまって顔色を見て、毎日過ごしているのかと思うと、うばゆりは胸が痛くなりました。
廊下を歩くときもパパから離れて歩いていたし、何より顔を見ないようにしていたのも気になります。
小さな坊やはキャッキャッと声を立てて笑ったり喋ったりしているのに対しお兄ちゃんの声は最後までひと声も聞きませんでした。

うばゆりは、待合室でその日の新聞を読むことにしているのですが、その日は新聞どころではありません。

あの子は、その後どうしているのでしょう。





          -----------
【ちょっとお茶でも】 ←コメントはこちら
【古日記】 ←以前のうばゆり日記&チョットした情報はココ

今日もお読みいただき有り難うございました    
       ----------------

[PR]
6歳まで住んでいた田舎のことを思い出します。
多分、その社宅には3~4年しか住んでなかったと思いますが、
景色や近所のおじさんやおばさん、一緒に遊んだ友達などを思い出します。

今日の日にちも分からなくなるのに、70年程前のことを覚えているのって不思議です。
こうやってブログに書きだすと、次々思い出してくるのです。
f0161708_22413727.png
時々、貰い風呂に行きました。
確か~、家にも風呂はあったと思いますが何故か家族揃って風呂をもらいに行くのです。
父の会社の友人宅に、家族5人がぞろぞろと行くのです。
よくま~、5人も受け入れてくれたものです。

そこのおじさんは、片腕がありませんでした。
明るく元気で、良く喋るおじさんでした。
お風呂の後は、皆でお喋りをしてから帰ってきます。

戦時中、おじさんはトラックの運転手をしていたのだそうです。
ある時、運転を代わって、おじさんが助手席にいたときに事故は起きました。
窓を開けて肘を出していたのだそうです。

対向車をよけるため、路肩に急接近したところ、
丁度そこに電信柱があったため、窓から出していた腕が激突したのだそうです。

窓から腕を出していて腕が無くなるんだ! と、驚きました。
車の窓からは絶対に腕を出さないうばゆりになりました。

昨日の足の悪いお姉さんや今日の腕の無いおじさんのことは、子供心に余程ショックを感じたのでしょう。
70年近く経っても脳に張り付いているのですから。









          -----------
【ちょっとお茶でも】 ←コメントはこちら
【古日記】 ←以前のうばゆり日記&チョットした情報はココ

今日もお読みいただき有り難うございました    
       ----------------

[PR]
うばゆりは6歳まで田舎で暮らしていました。
左隣の人は全く覚えていませんが、右隣の家のことは良く覚えています。
f0161708_21352981.png
その家はおばさんとお姉さんがいつもいました。おじさんは不明です。
二人とも優しい人で、洟垂れ小僧の我ら兄弟に良く声をかけてくれました。
おばさんは外で洗い物をしたり、洗濯を干したり、庭の草むしりをしたり、と 家の中と外を出たり入ったりです。
でもお姉さんは外に出てくることはありません。
いつも日当たりの良い縁側で縫い物をしていました。

ある時、お姉さんが何かの用で外に出て来たのを見て驚きました。
体がひっくり返るか と、思う程体を揺らして歩いていたのです。

うんと若い頃、針を踏んで 其れが体を巡って足が悪くなったのだそうです。
「足が悪いのでお嫁にも行けず、不憫だ~」と、おばさんが話していたのを横で聞いていました。
お姉さんは可哀想だな~と幼いうばゆりは思いました。

それ以上に心に残ったのが、針を踏むのは怖い!ということです。
その事が頭にこびりついて、しばらくは針が怖くて仕方がありませんでした。

今では針を無造作に扱いすぎているうばゆりです。 反省!




          -----------
【ちょっとお茶でも】 ←コメントはこちら
【古日記】 ←以前のうばゆり日記&チョットした情報はココ

今日もお読みいただき有り難うございました    
       ----------------

[PR]
うばゆりの兄は今年77歳になり、世に言う喜寿の年です。
其れを自分で祝って記念誌を出版したということで、
今日 その本が届きました。
f0161708_23072045.png
22歳までは一つ屋根の下で暮らしていましたが、
大学卒業後は赴任地で一人暮らしを初め、それ以来一緒には暮らしていません。
年に1~2度会うだけで、職業は分かっていても一体何をやっていたのか本当のところは知りませんでした。

それが、この記念誌を読んでよく分かりました。
一番近い人の足跡が分かるのは、楽しいことです。
全く畑違いの、うばゆりには理解が出来ない分野ですが、それでもいいのです。

さて、是に触発されてうばゆりも喜寿の祝いに我が仕事の写真集でもまとめてみようかしら?
中身は~
勿論、チクチク縫い物作品と、育てた花たち、PCお絵かきの3本立てです。
どなたに差し上げても喜ばれないでしょうが、いいの・いいの・自分へのご褒美ですから。
それに記憶が呆けて来た時に役立つかも知れないし‥‥‥‥

あと2年あるから、ゆっくり考えましょうっと!






          -----------
【ちょっとお茶でも】 ←コメントはこちら
【古日記】 ←以前のうばゆり日記&チョットした情報はココ

今日もお読みいただき有り難うございました    
       ----------------

[PR]
年末、自分へのお歳暮は着物の布を2反でした。

年と共に欲しい物がなくなってきましたが、布だけは際限なく欲しいのです。
f0161708_21471145.png
いつから こんなに布好きになったのかと振り返ってみると、
幼い子ども時代に行き着きます。

最初はあや取りの糸でした。
赤や緑、黄色など色とりどりのあや取りの糸を持って喜んでいました。
母が洋裁や編み物をしていたので端切れや余り毛糸は山ほどあったのです。

小学校・高学年くらいからはアップリケをした手提げ袋を作っていました。
中学に入ってからはベストやセーターを自分で編んで着ていました。
高校生になると母が使っていた編み物機で編み込み模様の入ったセーターを見よう見真似で編み始めました。
その頃は自分用のスカートはミシンで手作りでした。

こう書くと、いかにも手芸女子みたいですが、四六時中やっていたわけではありません。
しっかり遊んでいましたし、読書や映画も好きでした。勉強だけは・・・・?

着物の布を使うようになったのはずっと後のことです。
母が亡くなって、沢山の着物や端切れが残っていたのがきっかけです。

そんなこんなで布と糸との付き合いはうばゆりの年齢とほぼ一緒です。

母が布で洋服を縫ったり、人形を作ったりしているのを横目で見ていましたが、
いつの間にかうばゆりも同じ事をしているのです。







          -----------
【ちょっとお茶でも】 ←コメントはこちら
【古日記】 ←以前のうばゆり日記&チョットした情報はココ

今日もお読みいただき有り難うございました    
       ----------------

[PR]
思春期の頃、うばゆりは若死にすると思っていました。
40代、50代の自分の姿を想像することは全くありませんでした。
f0161708_10211554.png

何故、そう信じ込んでいたのか自分でも分かりません。
ただ、体が弱くて、その上運動神経が鈍くて~
箸が転げてもおかしい年頃なのに、少し暗かったと思います。

それが、この年まで生きているのです。
シワ・シミ・白髪、足はO脚、指は曲がり、背中は丸くなっているのに、
毎日が楽しくて、
あの若い頃よりずっと今の方がよいと思うのです。
若死にしなくて良かった!




          -----------
【ちょっとお茶でも】 ←コメントはこちら
【古日記】 ←以前のうばゆり日記&チョットした情報はココ

今日もお読みいただき有り難うございました    
       ----------------

[PR]
昨日、ワセリンのことを書いていて思わぬ事の発見がありました。
と、言うのはがまの油売りのことです。

多分皆さんはがまの油売りとかバナナのたたき売りとかの実物は見たことが無いでしょうね。
うばゆりはあるのです。年が分かってしまいますね。
バナナのたたき売りは日常的に見ていましたが、がまの油売りは1度だけです。
f0161708_22455734.png
高校1年の時でした。
中央線の最寄り駅を降りて駅前広場にさしかかると黒山の人だかりです。
何だろう?と立ち寄ってみると、輪の中に香具師のおじさんが刀を片手に何か口上を怒鳴っています。

そもそも香具師って分からないですよね。「やし」と読み
露天で人を集めては何かを売る人です。あのふうてんの寅さんみたいな人です。
さて、輪の中のおじさんは手にした刀で自分の腕を切り
「この薬を塗れば、あ~ら不思議、たちどころに血は止まる」
と言いつつ、血が流れ落ちているところに持っていた薬を塗りました。
言葉通り血が止まったのには、うばゆり ビックリ仰天・口あんぐりです。

その薬が幾らだったのか覚えていませんがなけなしのお小遣いをはたいてうばゆりは買いました。

勿論、鏡に映った我が身の恐ろしさにタラ~リ・タラ~リと垂らしたがまの油では無いと
思いましたが、兎も角凄い薬だ~と信じました。

あの薬
実はワセリンだったのだと・・・昨日気が付きました。
ボクシングの試合で顔面が切れたときに応急処置として塗っているのはワセリンだそうです。
傷口をべったとしたワセリンが覆って血止めになるのだと言うことですが、香具師のおじさんも公衆の面前で腕を切りワセリンを塗っていたのだわ。
60年以上経って謎が解けるなんて面白いね。

(うばゆりの思い違いかも知れませんので正解を知っている方はご一報下さいませ。)




          -----------
【ちょっとお茶でも】 ←コメントはこちら
【古日記】 ←以前のうばゆり日記&チョットした情報はココ

今日もお読みいただき有り難うございました    
       ----------------

[PR]
足の裏が痛いな~  特に踵が~
と、思ったのは先週のことです。

いつの間になったのかしら?
うばゆりの足の裏はぞうさんの肌よりガサガサで白い粉も吹いていました。
家にあったハンドクリームやオロ**ン軟膏を塗ってみたのですが一向に変わりません。
f0161708_21502518.png
買い物ついでに薬局に寄りました。
踵がスベスベになる~という薬が何種類もありました。
だけど踵にこのお値段?
とても買う気になりません。お顔がスベスベなら速攻飛びつくのですが。

棚の下の方を見たらワセリンが置いてありました。
懐かしい名前です。
うばゆりが子どもの頃はひびやアカギレ、切り傷にもワセリンを塗っていました。
あの頃の肌荒れの薬と言えば椿油とかオリーブ油、それにワセリンくらいでした。
確か、オリーブ油はオレイフ油と言って薬箱にあり、料理には使いませんでした。

うばゆりがはな垂れ小娘だった4~6歳頃、毎年手や足に霜焼けが出来ていました。
一番ひどい年には、左手の甲の霜焼けが崩れ、まるで噴火した火山のようになりました。
その跡は1円玉ほどのケロイド状になり何十年も残りました。
今はシワと浮いた血管が隠してくれて見えません。
足も霜焼けだらけで痒かったことを覚えています。
あの頃は栄養不足と不衛生で霜焼けやアカギレの子どもが多かったのでしょう。

仲良しのみっちゃんはひびが出来て痛がっていましたがうばゆりは霜焼けでした。

それで、ワセリンですが買って帰り、早速塗りました。
驚くほど効きました。
たった1回塗っただけで見違える程の変化です。
白い粉は直ぐに消え、2日目にはガサガサもほとんど無くなりました。
踵ツルツル~お薬の5分の1程の値段でしたが、大満足です。
何だかちょっと得した気分です。




          -----------
【ちょっとお茶でも】 ←コメントはこちら
【古日記】 ←以前のうばゆり日記&チョットした情報はココ

今日もお読みいただき有り難うございました    
       ----------------

[PR]
7月も今日でお仕舞いですね~
今月は色々な出来事があり、ちょっと物思いにふけっています。

うばゆりより若いのに先に逝ってしまった人 美人で聡明、行動力がありました。
だけど、屍は美しさも聡明さも全くなくて、只の骸(むくろ)です。その姿を見たときのショックは未だに消えません。
しわくちゃでも醜女(しこめ)でも生きているだけで美しいです。

又つい先日、憧れだった5歳上の従姉妹に会いました。
昔から年賀状や手紙などの文章が素晴らしくて、作家になるのでは?とずっと思っていた人です。
だけど目の前の従姉妹は何だか言うことや行動が心許なくて、覇気がありません。
f0161708_22563279.png
山あり 谷あり、
乗り越えたり 這いつくばったり、
色々あって、今日があるのです~
やっと穏やかな日々を向かえたと思ったら、体や頭が言うことを聞かないなんて~ 全くつまらない!
「死ぬまで元気」を願っても、叶わぬ夢ならば、どうしましょう?
旨い饅頭に鰻重、ケーキにふぐ刺し 山ほど食べて 腹痛でこの世とおさらばしましょうか。











          -----------
【ちょっとお茶でも】 ←コメントはこちら
【古日記】 ←以前のうばゆり日記&チョットした情報はココ

今日もお読みいただき有り難うございました    
       ----------------

[PR]