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カテゴリ:子ども時代・思い出( 85 )

懐かしい人から展覧会の案内状が届きました。
40年以上前に親しくしていた友人ですが、転居をしたり、退職をしたりで疎遠になっていました。
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40年以上も前の話です。
その頃、うばゆりは片道1時間半、山人氏は片道2時間もかかる職場に通っていました。
子どもが生まれて、産休明けが迫ってきたというのに保育園が見つかりません。
当時は民間の保育園は無くて、公立だけが頼みの綱でした。
ところが、保育園の数が少なくてフルタイムで働いていてもなかなか入れないのです。
何度市役所に足を運んだかしれません。

どうにも困って、友人のバンさんに愚痴をこぼしました。
バンさんは我が子を実家のお母さんに預けて働いていたのですが、
「一人見るのも二人見るのも同じだからお母さんに頼んでみる~」と言ってくれたのです。

まさかそんな簡単に了解をしてくれるわけは無いと、思っていたのに
「困っているのならお互い様~」と預かってくれることになりました。

それからは、毎朝バンさんの実家に寄ってから出勤です。
大きなお屋敷にはバンさんのお父さん、お母さん、年頃の妹さんが住んでいました。
家の皆がうばゆりの子どもを歓迎してくれて実の孫のように可愛がってくれるのです。
特にお爺さんは「実の孫よりマドンナちゃんを可愛がるのよ~」 と言っていました。

本当にお世話になったのに、きちんとお礼も言わず仕舞いです。
もう何年も前にそのご両親は亡くなられたとのことで、今になっては、感謝の気持ちを伝えることも出来ません。

今のうばゆりは暇がありますが、「困っているから子どもを預かって!」と言われても首を縦に振ることは出来ません。
本当によく助けて下さった、と今更ながら思います。

さ~、明日はバンさんの書道展に出掛けます。
久しぶりの再会に今から胸がわくわくします。




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人の記憶って面白いですね。
すっかり忘却の彼方に消えていたことが、何かのきっかけでヒョイと思い出すことがあるのですもの。
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ニュースを見ていて、どうしたことか中学時代の嫌の思い出が急に甦ってきました。
うばゆりが13歳くらいの時のことです。
その頃、母親は仲良しグループとよくお茶飲み会をしていました。
ある日、いつものようにおばさんが3人集まってお茶のみです。

ケイスケ君のお母さんが話し出しました。
「ケイスケが、ボクも彼女が欲しいな~何て言ったから
 うばゆりちゃんがいいるじゃ無い  って言ったのよ。
 そしたら、ボクにも選ぶ権利はある~だって。 ワッハハハ・・・」
他のおばさんもワッハハハ・・・ ワッハッハハ・・・
もう笑いの渦です。

自分の母親まで一緒になってワッハッハハ・・・

ケイスケ君なんて屁とも思っていません。本当のところ友達でもありません。
そりゃ~、母親同士が仲良しだし、同学年だし、家は近所だしとつながりはありますが
全く目に入ってきたことも無いし、ましてときめいたことなど皆無です。
それが、なぬ~選ぶ権利があるだと~
うばゆりは、いたく傷つきました。
大笑いされていることにも腹が立ちました。

そう、思春期のうばゆりはとっても傷つきやすかったのです。
今なら100人に言われても、「なにさ、私にだって選ぶ権利はあるし、こっちこそ願い下げだわ!」くらい言えるのに~






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今日は年に1回、友達の展示会の日です。
乗り換えに乗り換えをして、都心に出ました。

ぎっくり腰になって以来の遠出です。
途中で又ぎっくり腰になったらどうしましょう~と、不安が頭をよぎります。
でも友人には会いたいので、無理を押して行きました。
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こんな行事でも無ければ古い仲間には会えません。
今日会う4人は中学1年の時の仲間です。
山あり谷あり、みんな色々なことがあっての今なのです。

親の介護や看取り、夫の看病、勿論子育てや仕事など皆経験をして、
ホッと一息を付く暇もなく、今度は自分の体調不良です。
だけど、揃って一病息災で仲間はずれ無しの仲良し4人組。
この程度なら良しとしましょう。
こうやって顔を合わせられるのですから幸せです。

帰りは、新宿の手芸店によって買い物です。
久しぶりの外出で疲労困憊~
腰の具合が心配になり買い物を中断して帰路につきました。

買い物の続きは再度挑戦です。やれやれ~



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時々 子どもの頃のことを思い出します。

仲良しだった子のことよりも、少し話しただけの子の方が思い出します。
多分心に引っかかったままで、その後の様子も分からないままだからでしょう。

日本中を行商するお父さんについて歩いていた子とか、
父親が会社を首になり家を転々としたあげく、中学生で屋台の飲み屋に立っていた子とか、
親戚のお風呂屋に預けられ手伝いをしていた子とか
色々、子どもながらに苦労をしていました。
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今日 思い出したのは、高校1年 15歳の時の友達・カオルちゃんです。
うばゆりと仲良しでは無く、登下校も遊びも一緒にしたことはありません。
色が白くて目がぱっちり大きいのに、何故かいつも泣いている様な顔でした。友達もほとんど無くていつもポツンと一人でいました。
1学期末のある日、何かの授業で席が隣になった時に突然話しかけてきました。
無口だと思った子が家のことを次々と話してくるのです。
お父さんとお母さんは離婚をして、カオルちゃんは父親に、妹は母親に引き取られたこと。
新しいお母さんがいて、小さな弟が二人いること。
行方が分からなかったお母さんの居場所が分かったこと~など

うばゆりはポカンと聞くばかりです。
どの話も小説か映画の中でかの話です。
「お母さんに会いたい・会いたい。」
「お母さんはお金持ちで会社の社長さんをしている。」とか、夢のようなお母さんの話です。

うばゆりの母さんは家の掃除やご飯の用意に時々ミシンかけ
まるで薫ちゃんのお母さんとは住む世界が違います。
だけど本当かな?と心のどこかで思ったりもしました。

それから程なく、泣き顔のカオルちゃんが満面の笑顔で話してくれました。
「地方都市にいるお母さんと暮らすことになったの!」
本当に嬉しそうでした。
7月30日に行くことも教えてくれました。

ということで、1学期で転校をしたカオルちゃんのその後は誰も知りません。

あれから、幸せな人生を送ったのかしら?
泣き顔とはバイバイして笑顔で暮らしているかしら?
気になります。









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[東京・目黒で5歳の女児が父親から虐待を受けて死亡した]という痛ましいニュースがありました。
虐待したのは実の父親では無いと言うことですが~、
このニュースを見て、今から7~8年前に見た光景を思い出しました。

ある日のこと、温泉を出て待合室のソファにうばゆりが座っていると、そこに
仲の良い家族連れがやはりお風呂から上がってきました。
若いパパはよちよち歩きの坊やに自販機でジュースを買ってあげ、自分とママの分も買って飲み始めました。
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少し離れたところに6歳くらいの男の子がポツンと座っていますが誰も声をかけません。
まるで、その子は透明で存在しないような扱いです。

若いパパは小さな坊やが可愛くて目が離せない様子で、後を付いて歩いています。
少し離れたところにパパ達が行くと、ママはすっと立って男の子に100円玉を一つ渡しました。
男の子は黙って自販機からジュースを買って飲み始めました。

きっとお兄ちゃんには本当のパパでは無いのでしょう。
あんなに縮こまって顔色を見て、毎日過ごしているのかと思うと、うばゆりは胸が痛くなりました。
廊下を歩くときもパパから離れて歩いていたし、何より顔を見ないようにしていたのも気になります。
小さな坊やはキャッキャッと声を立てて笑ったり喋ったりしているのに対しお兄ちゃんの声は最後までひと声も聞きませんでした。

うばゆりは、待合室でその日の新聞を読むことにしているのですが、その日は新聞どころではありません。

あの子は、その後どうしているのでしょう。





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6歳まで住んでいた田舎のことを思い出します。
多分、その社宅には3~4年しか住んでなかったと思いますが、
景色や近所のおじさんやおばさん、一緒に遊んだ友達などを思い出します。

今日の日にちも分からなくなるのに、70年程前のことを覚えているのって不思議です。
こうやってブログに書きだすと、次々思い出してくるのです。
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時々、貰い風呂に行きました。
確か~、家にも風呂はあったと思いますが何故か家族揃って風呂をもらいに行くのです。
父の会社の友人宅に、家族5人がぞろぞろと行くのです。
よくま~、5人も受け入れてくれたものです。

そこのおじさんは、片腕がありませんでした。
明るく元気で、良く喋るおじさんでした。
お風呂の後は、皆でお喋りをしてから帰ってきます。

戦時中、おじさんはトラックの運転手をしていたのだそうです。
ある時、運転を代わって、おじさんが助手席にいたときに事故は起きました。
窓を開けて肘を出していたのだそうです。

対向車をよけるため、路肩に急接近したところ、
丁度そこに電信柱があったため、窓から出していた腕が激突したのだそうです。

窓から腕を出していて腕が無くなるんだ! と、驚きました。
車の窓からは絶対に腕を出さないうばゆりになりました。

昨日の足の悪いお姉さんや今日の腕の無いおじさんのことは、子供心に余程ショックを感じたのでしょう。
70年近く経っても脳に張り付いているのですから。









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うばゆりは6歳まで田舎で暮らしていました。
左隣の人は全く覚えていませんが、右隣の家のことは良く覚えています。
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その家はおばさんとお姉さんがいつもいました。おじさんは不明です。
二人とも優しい人で、洟垂れ小僧の我ら兄弟に良く声をかけてくれました。
おばさんは外で洗い物をしたり、洗濯を干したり、庭の草むしりをしたり、と 家の中と外を出たり入ったりです。
でもお姉さんは外に出てくることはありません。
いつも日当たりの良い縁側で縫い物をしていました。

ある時、お姉さんが何かの用で外に出て来たのを見て驚きました。
体がひっくり返るか と、思う程体を揺らして歩いていたのです。

うんと若い頃、針を踏んで 其れが体を巡って足が悪くなったのだそうです。
「足が悪いのでお嫁にも行けず、不憫だ~」と、おばさんが話していたのを横で聞いていました。
お姉さんは可哀想だな~と幼いうばゆりは思いました。

それ以上に心に残ったのが、針を踏むのは怖い!ということです。
その事が頭にこびりついて、しばらくは針が怖くて仕方がありませんでした。

今では針を無造作に扱いすぎているうばゆりです。 反省!




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うばゆりの兄は今年77歳になり、世に言う喜寿の年です。
其れを自分で祝って記念誌を出版したということで、
今日 その本が届きました。
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22歳までは一つ屋根の下で暮らしていましたが、
大学卒業後は赴任地で一人暮らしを初め、それ以来一緒には暮らしていません。
年に1~2度会うだけで、職業は分かっていても一体何をやっていたのか本当のところは知りませんでした。

それが、この記念誌を読んでよく分かりました。
一番近い人の足跡が分かるのは、楽しいことです。
全く畑違いの、うばゆりには理解が出来ない分野ですが、それでもいいのです。

さて、是に触発されてうばゆりも喜寿の祝いに我が仕事の写真集でもまとめてみようかしら?
中身は~
勿論、チクチク縫い物作品と、育てた花たち、PCお絵かきの3本立てです。
どなたに差し上げても喜ばれないでしょうが、いいの・いいの・自分へのご褒美ですから。
それに記憶が呆けて来た時に役立つかも知れないし‥‥‥‥

あと2年あるから、ゆっくり考えましょうっと!






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年末、自分へのお歳暮は着物の布を2反でした。

年と共に欲しい物がなくなってきましたが、布だけは際限なく欲しいのです。
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いつから こんなに布好きになったのかと振り返ってみると、
幼い子ども時代に行き着きます。

最初はあや取りの糸でした。
赤や緑、黄色など色とりどりのあや取りの糸を持って喜んでいました。
母が洋裁や編み物をしていたので端切れや余り毛糸は山ほどあったのです。

小学校・高学年くらいからはアップリケをした手提げ袋を作っていました。
中学に入ってからはベストやセーターを自分で編んで着ていました。
高校生になると母が使っていた編み物機で編み込み模様の入ったセーターを見よう見真似で編み始めました。
その頃は自分用のスカートはミシンで手作りでした。

こう書くと、いかにも手芸女子みたいですが、四六時中やっていたわけではありません。
しっかり遊んでいましたし、読書や映画も好きでした。勉強だけは・・・・?

着物の布を使うようになったのはずっと後のことです。
母が亡くなって、沢山の着物や端切れが残っていたのがきっかけです。

そんなこんなで布と糸との付き合いはうばゆりの年齢とほぼ一緒です。

母が布で洋服を縫ったり、人形を作ったりしているのを横目で見ていましたが、
いつの間にかうばゆりも同じ事をしているのです。







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思春期の頃、うばゆりは若死にすると思っていました。
40代、50代の自分の姿を想像することは全くありませんでした。
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何故、そう信じ込んでいたのか自分でも分かりません。
ただ、体が弱くて、その上運動神経が鈍くて~
箸が転げてもおかしい年頃なのに、少し暗かったと思います。

それが、この年まで生きているのです。
シワ・シミ・白髪、足はO脚、指は曲がり、背中は丸くなっているのに、
毎日が楽しくて、
あの若い頃よりずっと今の方がよいと思うのです。
若死にしなくて良かった!




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